追悼 佐藤稚鬼 遺句抄

『海原』No.63(2024/11/1発行)誌面より

追悼 佐藤稚鬼 遺句抄

汚点しみとなる口笛霧の吸取紙
耳で視る風景寒し闇の底
蜘蛛の巣にひかる朝霧なにか不安
雪崩おちきって一つの息を吐く
除草機押す歩速を持ちて灯へ帰る
麦を蒔く母二三歩で腰きまる
草一本一本キーンと響く月
ぶらんこの蒼き揺れもちくだる坂
泉聴くしずかに拳やわらげて
放尿の寒き脳裏に拡がる穴
落ち椿疵口のごと石段に 長いブランク以降

裸木の静脈蒼天をまさぐりぬ
風車のそよぎに共鳴の肺涼し
街灯のもとに秋風灯りけり
高山病かみしめるごと氷河をゆく
枯野の野宿星座の芯たるナルシスト
岸壁いわ攀じゆく秋天更に遠ざかる
底雪崩肺に響けりシベリウス
ザイル解く尖った四肢のゆるみゆく
雲の峰卒寿で尚もヒマラヤ恋ふ

(佐藤公惠・抄出)

六十年の歳月を偲ぶ 佐藤公惠

 令和六年六月十九日、稚鬼が旅立ちました。
 縁あっての六十年の暮らしの終止符です。
 海が大好きな私は、幸いなことに国立公園屋島の麓から海に続くわずかな平地に住むことになったのです。もうひとつの幸せは、パートナーとなった稚鬼のおだやかな人柄と、お互いの趣味に数々の共通点があったこと。朔太郎・賢治に心うばわれ、美術展の会場では同じ作品の前で長く立ち止まり、音楽においてもそれはたがうことはありませんでした。ただ、稚鬼は歌うことはあまり無く、コーラスの練習日に喜々として出かける私を、不思議そうな面持ちで送り出してくれました。ふたり別々の貴重な時間、稚鬼にとっては句作や畑仕事、私は二時間をしっかり声を出しての笑顔の帰宅です。夕食後、「こんな句が出来たけど、どう思う?」「どれどれ見せて」。
 数え切れない程のささやかな時間を偲び、稚鬼亡きあとの悲しさ、寂しさはまだありません。

ありがとうの気持ち 佐藤梛月

 わたしのおじいちゃんは、しゅみではい句をしています。このあいだおじいちゃんがわたしのはい句を作ってくれました。
 さくらんぼ ふくむ少女のえくぼかな
と書いていました。親せきがおくってくれたさくらんぼを食べている様子を見て書いてくれたんだなと思いました。母さんもよろこんで、そのはい句を色紙に書いて赤いさくらんぼの絵をつけくわえて、家ぞくがよく通るろう下にかざってくれました。とてもうれしかったです。家ぞくに大切にされているんだなと思いました。このはい句がきっかけで、人に気もちを伝えるのは、メールや手紙やふだんの話だけでなく、はい句でも十分できるのだなと思いました。おじいちゃんの一つのはい句でたくさんのえ顔も広がり、ありがとうの気もちで心はいっぱいです。
(孫の梛月さんが書いた小学校三年生の時の文章。現在は六年生)

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